東京高等裁判所 昭和34年(行ナ)8号 判決
本件実用新案「噴射綛糸染機に於ける噴射筒」は昭和二九年四月一七日に出願され、昭和三〇年三月五日にその説明書が訂正されたものであるが、その考案の要旨は、「片面に多数の噴射孔(2)を有する円筒体(1)の先端には鍔(3)を固着し又基部には中空支軸(4)を突出形成した鍔(5)を一体に形成し且前記の鍔(3)と鍔(5)とに亘り円筒体(1)に平行するシフター(6)を懸架した本体を機枠(7)に回転自在に取付けて成る噴射綛糸染色機に於ける噴射筒の構造」にあり、その作用効果としては、「染液を染液管(10)より中空支軸(4)内を経て円筒体(1)に注入すれば染液は円筒体(1)の多数の噴射孔(2)より噴出して円筒体(1)に跨架された綛糸は持ち上げられる態勢となり染液は綛糸の内外に滲透して下部より流下する。このとき円筒体(1)を回転させると、シフター(6)は円筒体(1)を中心としてその周りを公転するから綛糸は漸次回転方向に送られて時々刻々異つた位置に於て染液の噴射を受けるから綛糸は染斑なく均一に染色される。尚噴射筒を回転させず静止状態に保ち綛糸の送りを間歇的となした公知のものに比べて綛糸の送りを連続的となしたため構造が著しく簡単化されたに拘らず染色作用、効果に於ては殆んど前記公知のものに異なる処がない。」とするものであることが認められる。
一方成立に争のない乙第一号証の一、二、三によると、審決が引用した山田広著「色染機械」は、本件実用新案の出願日より以前である昭和一一年七月一五日に三省堂より発行されたもので、その第四二頁ないし第四三頁の記事および第四一図、第四二図には、「上面に多数の噴射孔を設けた中空の金属管(c)(本件における円筒体(1)に相当するもの)を水平に装置し、その先端および基部にそれぞれ鍔を回転自在に設けかつこれらの鍔に亘り金属管(c)に平行して「ガイド」(a)(本件における「シフター」(6)に相当するもの)は懸架して設けて「ガイド」(a)が金属管(c)を中心として回転するように前記鍔を金属管(c)に対し回転自在に取り付け、綛糸を金属管(c)に掛け、「ガイド」(a)の回転により綛糸を移動させ、染液を金属管(c)の内部より噴射孔を経て噴射させて綛糸を染色する噴射式綛糸染機の構造」が記載されていることが認められる。
そこで本件出願の実用新案の考案要旨と、審決引用の刊行物である山田広著「色染機械」の記載事項とを比較すると、両者は共に「片面に多数の染液噴射孔をもつた円筒体を水平に設け、この円筒体の先端および基部にそれぞれ鍔体を装置し、この二つの鍔に互つて円筒体に平行する「シフター」を懸架し、「シフター」が円筒体を中心として回転するように装置した噴射式綛糸染機」である点では全く一致し、ただ両者間には、前者すなわち本件実用新案のものが円筒体と鍔とを一体にしたため円筒体と「シフター」とが一体となつて回転する、言いかえれば、円筒体もそれ自体回転し「シフター」は同時に円筒体の周りを公転するようにしたのに対し、後者すなわち引用のものは円筒体と鍔とが一体でないため円筒体は静止状態のままで「シフター」だけが円筒体の周りを公転するようにした点および前者が円筒体基部の鍔に中空支軸を突出形成しこれによつて円筒体を機枠に対し回転自在に取り付けたのに対し、後者では円筒体を機枠に対し固定し円筒体に鍔を回転自在に取り付けた点においてそれぞれ相違する。
しかしながら、一般の綛糸染色機械においては、綛糸を懸架する「ロール」すなわち円筒体自体を回転させることによつて、それに懸架された綛糸を移動させて送ることが綛糸の送り手段としては極めて普通のやり方であることは当業者においては極めて顕著な事実であり、本件のような噴射式綛糸染色機であつても一般の綛糸染色機であつても、綛糸の送り機構に関する点では異るところが認められないから、前記の極めて普通のやり方である綛糸を懸架した円筒体自体を回転させて綛糸を送るようにする機構を、噴射式綛糸染色機に施して円筒体と「シフター」とを一体となし共に回転させ、「シフター」の公転と同時に円筒体自体をも回転させた点は、必要に応じ当業者なら容易に考えられる程度のことであつて、本件のものが特に噴射式のものに関連して円筒体を回転させて綛糸を送る機構を採用したことによる作用および効果についても格別優れた作用効果も認められないから、前記の相違点には考案は認められない。
また、円筒体基部の鍔に中空支軸を突出形成し、これによつて円筒体を機枠に対し回転自在に取り付けた点については、「シフター」を懸架した鍔と一体の円筒体を機枠に対し回転自在に装置するためには、鍔を直接機枠に対し回転自在に軸承するか、または本件の場合のように鍔に支軸を取り付けてこの支軸を機枠に対し回転自在に軸承するかは、いずれも機械設計上の技術常識であり、次に本件においては円筒体の内部を通つて染液を噴射させるために支軸を中空にしたものであるが、これもまた機械設計上極めて当り前の事柄であり、このようにすることによる格別優れた作用および効果も認められないから、前記の点にも考案は認められない。
従つて、本件出願の実用新案の要旨とするところは、審決引用の刊行物に記載されたものが公知である以上、これに周知の技術手段を応用すれば引用の刊行物記載事項から特に考案力を要せず容易に考えられる程度のものと認められる。
(一) 原告は審決が一般の綛糸染色機を参考資料としたのは違法であると主張する。
審決の理由のうち「然しながら一般の綛糸染色機に於ては綛糸の懸架ロール自体を回転させるものの方がむしろ普通であつて」の懸架ロールとは本願および引用例のような噴射綛糸染色機のロールではなく、下方に染液槽をもつている綛糸染色機における綛送ロールを意味するものであることは弁論の全趣旨から明らかであるが、本願の噴射綛糸染色機が一般の綛糸染色機と綛糸の送り機構については構造上類似の点を有すること前記のとおりであるから、審決が噴射式に属しない一般の綛糸染色機を参考資料に採用しても、それはむしろ当然というべく、原告の右主張は失当である。
次に原告は、審決は引用例を改造することを前提としてなされたもので違法であると主張するが、審決が「これを引用例のものに施すことは当業者が必要に応じ容易にできることと認められる」というのは、「これを引用例のものに施して本願のものとすることは当業者が必要に応じ容易にできることと認められる」の意味であつて、何ら引用例を改変することを前提とするものでないことは審決理由を熟読すれば容易に了解されるから、原告の右の主張も失当である。
原告は、原審決では一般綛糸染色機について始めて言及しているが、これについては審決以前に原告にこれを示して意見申立の機会を与えるべきであると主張するが、原審決も原査定の拒絶理由の引用例と本願の考案とを比較した上その相違点には何ら考案を認めることができないとしたものであつて、ただ右相違点が作用効果上軽微かつ低度のものに過ぎないことを説明する便宜上一般綛糸染色機に言及したに止まり、これを新な拒絶理由としたものとはいえないから、原告の右主張は理由がない。
(二) 次に原告は、この審決中「また円筒体基部の鍔にこれと一体に中空支軸を突出形成してこれを機枠に支えるようにすることも必要に応じて容易にできることと認められる」とある点は何ら根拠のないもので違法であると主張するが、この点は前記のとおり機械設計上の技術常識であるかまたは機械技術上極めて当り前の事柄であるため特に理由を示さなかつたものであつて、審決が特に理由を示さなかつたとしても右認定は根拠のないものではなく、原告の主張は採用し難い。
(三) 原告は、審決には本願の作用効果に関して全然考慮せざる違法があると主張するが、審決が本件のものと引用刊行物記載のものとを比較して両者の相違する点を挙げ、この相違する点である綛糸の懸架ロール自体を回転させる機構の方が一般の綛糸染色機においてはむしろ普通であると説示している点からみても、この相違点には作用効果においても格別のものがないことを暗示しているものと解すべく、ことさらに効果を考慮したむねの用語が審決中に表われていないからといつてこれを考慮せざる違法があるというのは当らない。
(四) 次に原告は、「原審決は本願の効果の判断を誤つたものである。本願のものは円筒体とシフターとを共に回転させるため、円筒体と一緒に綛糸が送られるので綛糸が円筒体に巻き付くおそれがなく、また綛糸の「スリツプ」が少く、綛糸が「シフター」によつて摺擦されず、一本一本が荒らされず、相互にもつれて毛羽立ち糸質を害しない特長がある。」と主張する。
証人塩原正寿の証言(第一回)によりその成立が認められる甲第五号証の一、二、第六号証の一ないし四によると、本願のものは引用例のものに比し「スリツプ」が少く、綛糸送りの点において優れるが如き観があるが、それは単に模型の実験結果に過ぎず、実物の運転結果はこれと相違することが成立に争のない乙第七号証により明らかであるのみならず、「スリツプ」の多少は送り機構に関連する一面、綛糸と円筒体および「シフター」との間の摩擦力にも大いに関連があり、摩擦力は互に擦れ合う物の材質により異ることが成立に争のない乙第六号証の一、二により明かであり、またそれはその物の湿潤状態、乾燥状態で異るもので、実際の綛糸染色機械では綛糸はむしろ水中に浸つていると同じ位に水を含んでいて、綛糸と円筒体および「シフター」との接触は、乾燥状態における固体と固体との接触に比べてその摩擦力は問題にならない程度に少いものであつて、円筒体自体が綛糸を送る力は極めて軽微なものであるから、「スリツプ」の多少による原告主張のような効果の差異は極く僅かなものと認められ、また綛糸と円筒体との間の摩擦力が実際の機械においては極めて小さいので、引用刊行物記載のものの如く円筒体が回転しないものの場合でも、原告主張のような綛糸が円筒体に巻き付くおそれは殆んど認められない。また、糸の乱れや絡み合いは糸や染料の性質、種類にも大いに関係があることが証人塩原正寿の証言(第一回)により明かである。したがつて本願のものに原告主張のような特長は認め難く、成立に争のない甲第八号証、第九号証、証人塩原正寿の証言中右認定に反し、原告の主張に添うが如き部分はたやすく採用し難く、他に本願のものが格別優れた作用効果を有することを認めるべき証拠はない。
かえつて成立に争のない乙第三号証の一、二、三によると、均一染色が噴射式綛糸染機の特徴であつて、それは、円筒体(懸架ロール)の上側のみに設けた噴射孔から染液を上方に向つて噴射することにより、繊維が噴射液の押し上げる力で浮き上がり、染液が繊維間の空間を押し拡げる状態で、かつ常時一定の圧力で染色液を噴射して染色する故、繊維の見掛け容積はむしろ大となり染液は少し許りの抵抗を受けるだけで充分「ミセル」間隙にまで滲透することができることにより達せられるものであることが認められるところ、本件のもののように噴射を連続的に行いながらこの噴射孔をもつた円筒体を連続的に回転させるときは、この回転によつて噴射液は上下左右に噴射方向を変えるため、噴射式綛糸染機の前記特徴は失われ、綛糸の均一な染色は到底望めないと考えられる。
(五)、原告は、本願を実施する場合噴射円筒を回転して糸送りをするときは一時噴射を中断するから染色は均一になる、したがつて均一な染色は望めないというのは理由がないと主張するが、成立に争のない甲第一、二号証によると、本件実用新案の出願当初の説明書には「液の噴射及綛糸の送りを連続的となしたるため」と明記してあるのみならず、訂正後の説明書にも「従来綛糸の送りを間歇的となした公知のものに比し、綛糸の送りを連続的となしたものである」むね記載されているから、噴射円筒体を連続的に回転するものであることは明かであつて、もし噴射円筒体を連続的に回転して連続的に糸送りを行う一方、糸送りをするときに噴射をしないものとすれば、遂に噴射をする機会なきに帰着するから、噴射も連続的になしたものと解するのほかなく、また前記甲第一号証中の図面によるも、間歇的に噴射および糸送りをするような機構は全く見出し難い。原告の右主張は本件出願の説明書の記載と矛盾し、一時噴射を中断することを前提とするものであつて、到底採用に値しない。
(六)、以上の理由により、原告の本件出願の考案は旧実用新案法(大正一〇年法律第九七号)第一条に規定する登録要件を具備しないものとすべく、これと同趣旨の審決は相当であつて、審決にもまた抗告審判手続にも原告主張のような違法の点はないから、審決の取消を求める原告の本訴請求は理由がない。